「息子を送り出す神」  04.10.31
                ルカ20:9〜19

 主イエスは、ひどい農夫の話をされました。ぶどう園の主人から
ぶどう園を任されたその農夫たちは、収穫を取りに来た主人の僕を
袋だたきにし、収穫を渡さないのです。最後には、主人の息子まで
殺害し、ぶどう園の乗っ取りを考えました。祭司長たちは、その話が
自分たちへの批判を込めた話だと気づきました。私たちもそれに気づく
べきでしょう。
 まず、私たちも、ぶどう園のような場所を神さまから与えられて
生きている事に気づかされます。家庭、職場、地域といったように、
収穫を得て、生きる場所を神さまから託されてそこで生きています。
 そこは、主人がぶどう園を作ったように、神さまがお作りになった
場所であり、準備万全に用意された場所です。神さまと無縁の場所
では、決してありません。つまり、私たちは荒地に生きているのでは
ないということです。どんなに、荒地に思えたとしても、私たちが
託されているぶどう園は、神さまのぶどう園であるゆえに、収穫の
希望があります。
 ぶどう園を神さまから貸し与えられるということは、私たちが神さまに
信頼されているということです。大切なものを、信頼できない人に貸し
はしません。私たちが与えられた場所で生きることは、神さまの信頼を
受けながら、愛を受けながら生きるということです。
 それにもかかわらず、農夫の背きは、ぶどう園を裏切りと暴力の場に
してしまいます。彼らは、主人を主人とみなすことを止め、自分たちが
主人になろうとしました。
 その時に、ぶどう園はおかしくなってしまうのです。
 主人を見誤る時に、場が乱れ始めます。
 ぶどう園の主人は、何度も、忍耐強く、僕を送り続けます。
 それは、神さまのお姿を示しています。
 神さまが愛する御子が送られます。
 人が生きていく上でなくてはならない親石とするためでした。

 イエスさまの十字架と復活によって、人は新しくされます。
 それによって、もう一度ぶどう園にふさわしい農夫とされ、
与えられた場で生き始めるのです。